散文詩:友情~世利君、ありがとう~

世利君と私の写真
私の部屋にて~左のブルーのシャツが私、右の白のシャツが世利君~二人は親友です

       友情~世利君、ありがとう~

かきつばた、いと美しく咲く夏(2018年6月12日)
夏の夕暮れ時に、私の関西の親友が
東京で生活している私のアパートへ来てくれました
一年ぶりの再会でした
お互い還暦(60歳)まで2年です
二人とも歳は重ねたが、友情の泉は尽きない

JR高円寺駅で待ち合わせしました
「中森(亜紀海春樹の本名)…」「世利君…」と呼び合い
改札で抱き合って再会を、二人の友情を確かめ合いました
世利君の奥さんは
「中森さんは本当にいつまでも若いですね」と
ほめて下さり、気さくに挨拶して下さいました

私と世利君と奥さんでタクシーに乗り
私のアパートへと向いました
庭の紫陽花の花が私たちを迎えてくれているようでした
私はいまだに独身です
私の作った手料理で、世利君と奥さんをもてなしました
「まず、一杯のビールで乾杯‼」
「焼き飯、サラダ、豚肉なしのトン汁、玉子焼き、餃子、おにぎり」
私の手料理に、世利君も奥さんも舌づつみをうって喜んでくれました

世利君と私は、中学3年間、奈良県の片田舎で
互いに
スポーツに、学業にライバルとして切磋琢磨して過ごしたものです
クラブ活動はバレーボール部で世利君も私も共に補欠でした
背が低かったので、正式選手にしてもらえなかったのです
放課後は
かなしきかな、いつの日もいつの日も球ひろいばかりでした
学業に関しては
いつも定期テストでは学年で首位を競い合ったものです
数学は私が世利君に教えてあげ
社会・理科(特に歴史、化学)は世利君が僕に教えてくれたものです
世利君とはスポーツで汗を流し、
二人は自分たちの将来について、夢、希望、そして悩み、苦しみ……
いろんなことを語り合ったものでした
まさに二人の人生の、青春時代の1ページです
今となっては懐かしき中学時代の想い出の数々です

私の大恩師、多田美登利先生は、
「中森君と世利君は同じ高校へ行くべきです」と主張して下さった
でも、3年生の担任の先生は、
私が、就職に有利な高校へ進むべきだと決断をした
世利君は進学校である奈良県立畝傍高校へ進んだ
私は、地元の奈良県立榛原高校(現:奈良県立榛生昇陽高校)へ進んだ
二人は別々の高校へ行くものの、
世利君は創価大学
私は、家が貧しいにもかかわらず、龍谷大学に進みました
世利君も私も4年間で大学を卒業しています

中学を卒業してから約43年の年月が流れます
世利君と私は、今、違う人生の道を歩いています
でも友情ほどすばらしいものはない
世利君は世利君の道を
私は私の道を
それぞれの人生を、力強く一生懸命、今を生きている
共に努力家として力の限りがんばっている

世利君、奥さん、東京まで来て下さって、本当にありがとう
そして、いつも私のことを気遣ってくださりありがとうございます
世利君、
歩みゆく道は違えども、
これからも
お互い、大親友として、SGIのメンバーとして、未来へ、未来へ突き進んで行こうよ
「それが私たち二人の約束です‼」Going My Way.

          2018年6月12日(火)  亜紀海 春樹あきの はるき

私の作った手料理
私の作った手料理(まずは、ビールで乾杯)

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